大河ドラマの地を散策(7)勘助生誕

あんせるめ

2020年08月27日 08:00

:地元の花倉城!がNHKの大河ドラマ風林火山に「花倉の乱」で登場した事がきっかけで、時ならぬ今川史跡の見直し等、いつもの「突発性..にわか散策症候群」?が発症してしまった!
以来「花倉の乱」がらみ、せっせと散策を続けて、もちろん.. ドラマの本筋.. 山本勘助ゆかりのここへも見参!

史跡散策は、NHKの大河ドラマ、風林火山、主役は山本勘助、その生涯のはずが、「花倉の乱」に出会って.. 散策先は今川ゆかりの地ばかり.. 忘れちゃいけない山本勘助、武田信玄!

実は、晴信を追って..甲斐の諏訪あたりへ出かけようと思ったのですが、いかんせん遠い.. おいそれと出かけるわけにもいかず、やっぱり近間の地元優先.. 藤枝からはちょっと遠いが、
此処だけは行っとかないとね(^^ゞ 後日に、信玄&勘助ゆかりの山梨方面.. 長野の川中島へも行きたい! 前々職で1年ほど上田市へ赴任していた事があって、懐かしいし..

史跡散策 第7巻は、ずっと気になっていた.. 富士宮の山本勘助の生家(吉野家)を訪ねてみました。 地元は勘助ブームで.. 駐車場も完備.. ちょうど良かった(^^)

山本勘助ゆかりの地といえば、言わずと知れた富士宮、、例によって、突如決行・・ 行って来ましたよ~

ここは花倉城址~以降 一連の史跡散策を終えて、勘助が活躍して足跡..身延や甲斐、諏訪、信濃などの史跡スポット
いずれは行かねばならないと、と思っていた最初の史跡なので!


※ なお : 全ての画像はクリッカブルです.. マウスの左ボタンクリックで 拡大してご覧いただけます!


01)富士宮駅で、あらかじめ確保してあった、ガイドペーパーを頼りに..早速散策を始めるって、
歩きは苦手だから車のままお奨めコースを辿るのも良いかな~

スタートはオッターくんを駐車した浅間大社南の「富士山せせらぎ広場」大きな鳥居や 富士山の冷え冷え伏流水が
流れる小川も有るし!

なにより大きな無料駐車場があって、、富士宮へ来る時は何時もここへ寄る、、おなじみさんです。


※ 後の:2017年12月 ここに「静岡県富士山世界遺産センター 」が開館した為、県道を挟んで西隣へ移転した。


02)ガイドペーパーには道が狭いから自動車は適さないっ!とあるが、、ダメとは書いてない?

何とか歩かせたい?だろうけど.. え~い.. 車で行っちゃえー! ときにお目当て.. 何処から行こうかな~・・
(ガイドペーパー裏側)

03)富士宮焼きそばで腹ごしらえしながら、付近の状況把握など作戦をと・・

その、お薦めコース(ガイドペーパー表側)です! 面白そうだな~

?道が狭いから自動車は適さないっ!とあるが、歩く?・・ そりゃごめんだってば? 現在位置は左上に!


04)最初はここ、山本八幡宮!へって、迷ったけど案外簡単に行けた・・

あれ? 大々的なPRの割りには意外に小さいなー、、あれれ?裏はゲートボール場だよ、トホホ、、最初からちょっと
拍子抜け・・
もっとも、地元山本の名士とはいえ吉野家初代「貞倫」個人が創建したという事で、大きさにかかわらず大変なものだ・・


05)もう1枚、、誰も居ないので、間違えたかと・・なんたって訪問者は我等だけ、
オッターくんも、そのまま境内に踏み込めちゃった.. ラッキー?


06)今日の本命!「山本勘助誕生の地」、、吉野家に到着、、

そばに見学者専用駐車場があるので、ここに駐車してゆっくりと拝見した

正面に瀟洒な長屋門、左手に勘助誕生の碑がある、右に回って裏手には池のある庭が、裏は吉野本家の現在の住宅に
なっている
当時の住宅は焼失してしまったと言う・・


07)門前の坂の端にこんな碑が立っている、

山本勘助の誕生の地であることを強くアピール? なぜか他にも宣言している地があるから・・


08)裏側が納屋代わりになった長屋門や前庭の池を含めて、じっくり見学出来る・・ 吉野家ゆかりの品々も多く、
見ごたえがあった・・

その長屋門、あちこちで見るが、民家仕様??比較的小振りだ、ここの左手に「山本勘助誕生の碑」がある、

09)これが長屋門の脇にある、勘助誕生の碑です、裏に書いてある碑文が興味深い! 後の世、、大正13年に
建てられた記念碑です、


10)碑文にはこんなことが記されている・・特に、、この地の地名が興味深い・・


11)続いて、近くの石積みの上にある吉野家の墓地へ、勘助の母親、安女のお墓を訪ねた、左の小さな墓碑がそれ、
右には解説碑が
建立され、勘助の母親、安女のお墓であることが記されている。


12)お参りをして、次の勘助坂へ向かう、距離が2Km近くあるので、車に戻って・・ オッターを駆って、、急な登り坂!
うわー狭い~って

ガイドペーパーに車不可って書いてあるじゃん、一旦降りて歩いて拙攻に出る、ゼイゼイハーハー、、遠いよー!?
でも通行人はゼロだし、行っちゃえー、、オッターに頼んで強行突破、、


13)ここまでも狭い道だったけど、勘助坂はなお狭い、それに急坂急カーブ、当たり前だ、ほんとうは歩いて通る道だもん・・

結局通り抜けたけど・・ ガイドとは向きが逆向きのようだ、、降りたら山際の住宅地、、もっと狭い道が続いて、冷や汗もの
ようやく石の宮橋のたもとへ出た、、迷わず右折!!


14)いやはや狭くて急坂で、すごい道でした、こりゃ通行注意どころか不可っといいたげで、軽四仕様の茶畑農道・・
慣れてるはずですが、少々難儀しました、、

で、本日の最終目的地は、ここ・・ ここにある木像が見たくて登って来ました、、山門は平成12年新築とあって
ピカピカで新しい、、


15)早速、住職殿にお願いして、木像を見せて頂く事に、玄関から本堂に上げていただいて・・
向こう正面がその本堂です、


16)これがその木像、左が「父・貞幸」右が「母・安女」の木像だそうです・・ 参考までに木像の前の記述を原文
の通り転記しておきます、
:山本勘助の両親の像として伝えられているこの木像は、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって廃寺
となった石ノ宮の宋持院
から檀徒の依頼により、代信寺に移されたものである。山本勘助の木像である、祖父・貞久の木像である、
または、両親(父・貞幸、
母・安女)の木像であるとする説があり、それぞれ見方が異なっているため断定は出来ないが、二体ある
ところから考えると、勘助や
祖父・貞久と見るより、両親と見るほうが自然なのかもしれない。なお作られた年代、作者ともに不明である。
と、以上原文の通り、

そう、山本勘助の両親の像とされる木像です、が、諸説があって「山本勘助本人」説「祖父・貞久」説や
「父・貞幸、母・安女」説など
定かでは無い1面もありますが、ここでは”山本勘助の両親の像”と聞きます・・ 秘仏ゆえ、当然住職殿に
撮影の許可を頂きました!


と、ここまでで今日のにわか散策はおしまいですが、代信寺を後に、帰途についたとたんに現地が岩本山公園の入り口付近だった事に驚きました? なんだ、こっちから来ればよかった、、
は後の祭り・・いやー!!久しぶりに歴史散策を堪能させて頂きました。



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