大河ドラマの地を散策(6)朝日山城
:地元の
花倉城!がNHKの大河ドラマ風林火山に
「花倉の乱」で登場した事がきっかけで、時ならぬ今川史跡の見直し等、いつもの「突発性..にわか散策症候群」?が発症してしまった!
以来「花倉の乱」がらみ、
せっせと散策を続けて、興味津々なここも訪れた・・
史跡散策 第6巻は、朝日山城址を訪ねた、ここは自宅に2番目に近い史跡で、車で10分位走れば.. の極く近い距離だが、興味がなかったので.. 過去には訪れたことは無かった(^^;
朝日山城は「花倉の乱」の発端の第5巻の「方ノ上城」.. 続いて夜間に「花倉城」をも攻め落とした、地元の武将.. 岡部氏、
あの今川義元方.. の有力家臣の
「岡部元信」の居城だった!
義元の没後に占拠していた
鳴海城の開城について、信長に、義元の首の引き渡しを要求し、これを呑ませて、主君の首を
確保し、悠然と.. 持ち帰ったという。 後に武田氏に帰属し..
高天神城の戦いで武田方の主将として討ち死にした。
極めて勇猛果敢な武将だったと云う、、云ってみれば花倉の乱の攻め方の筆頭がこの岡部氏..その党首の居城だった
城址は現在 「朝日稲荷神社」になっている..
西隣の潮山に
「潮城」が藤枝バイパス建設で発見されたが、あちらも岡部氏、この朝日山城の
支城の位置づけだったと!
藤枝市田中には同じく駿河今川氏が築いた
「田中城」があり、徳川家康が立ち寄り、茶屋四郎次郎に供されて鯛の天ぷら
を食したが、これが家康の死因とする.. 良く知られた説がある.. いわく付きの
お城です。 (城址は:小学校になっている)
01)今日のお目当て、藤枝市の国1バイパス岡部町よりのすぐ北に見える、朝日山城址へ、、駐車場に・・到着!
周囲は、なんの変哲もない田園風景の一角、朝日山城址は 牛伏山の山頂にあるが、天守の様な目立った遺構は無い!
※ なお : 画像は全てクリッカブルです..マウスの左ボタンクリックで 拡大してご覧いただけます!
02)今回は2番目にご近所、自宅から車で20分程の朝日山(牛伏山)山頂に位置する「朝日山城跡」を訪ねてみた
城址は現在、「朝日稲荷神社」になっている。
そう言えば、元々はお城がった神社はあちこちに見られますね.. 久能山東照宮も、元はお城
(久能城)だったとか?
03)ここはあの今川義本が、兄「玄光恵探」良真派を追って、久能山城から方ノ上(かたのかみ)城~花倉城へと
追討した際、義元方で武功を上げた地元の「岡部氏」の本拠であったと言う..
方ノ上(かたのかみ)城と違って、ここは戦場ではないが、花倉の乱、合戦にかかわりのある山城である、残念ながら
遺構と見られるような顕著な構築物等は存在しない、
しかし登城路途中の深い土塁は圧巻で、深さ5m、幅は20m位か、小さいが深い谷になっている、更に稲荷神社へ
の階段を登った所に朝日山城の概要が記されている、
04)もう一段上の休憩所(ここが三の曲輪)には城の案内板と休憩所がある、、
05)と並んで右側に、、と、なるほど階段状の曲輪は舟の形をしていますね・・
06)ハアハア!いいながらこの参道を登って行くと・・ 朝日稲荷神社がある
07)参道の階段の先には、朝日稲荷神社があり、この場所が、二の曲輪だそうだ、大きさは東西x南北は24x31m、
08)さらに稲荷神社の裏手には一の曲輪が拡がっている、曲輪は船形状曲輪となっていて周囲を低い土塁が巡らして
ある、大きさは東西x南北は57x31mとさほど広くはない? 更にこの東側には階段状の曲輪が連なる、
一の曲輪と云えば、一番高い場所なので、周りの眺望が開けているはずだが、樹木が茂って見晴らしは良くなかった!
09)一の曲輪の周囲は土塁に囲まれている? と云う事だがちょっと分りにくいなー・・
10)更にその先に、、南の守りになっている潮山城址へ続く小径があった、、なるほどここからも行けるんだー?
11)で、これがその潮山城址の案内板! 朝日山城を本城とするならその出城の位置付けだったらしい?とある・・
うーん、、ローカルなお城という事もあって、来てみると、少々物足りなくて拍子抜け? これが当たり前と分っていても
もう少しめりはりを!は、明らかなない物ねだり・・ うまくないかな、
散策続きで、この日は少々へたっていたので・・ ここまでにして、帰りは参道でなく山道を下って駐車場へ戻りました..
(なお、ここを訪れたのは、2007/03/17日(土)の事でした)
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